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日野自動車
戦時中の重車両生産の経験を生かして トラックやバスを専門に再起しました。
1953年にはフランスルノー公団と 7年間のノックダウンによる国内組み立て契約を交わし
自動車国産化を進め 短時間で車作りを吸収していきました。
日野はいすず、東洋工業と同様トラックメーカーだっただけに 華やかで夢がある乗用車作りは
ある種の悲願だったのではないでしょうか。
イタリア風ボディラインのコンテッサ900(1961年)写真左
そして ミケロッティのデザインした2代目コンテッサ1300(1964年)写真右を出しましたが
日野はこのコンテッサでグランプリに出てはよく勝ったようです。
ただ販売面では思わしくなく、コンテッサでつまづいた日野自動車はトヨタの傘下となり
1967年から乗用車の生産を止め、トラックやバスに専念しています。
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東洋工業(現マツダ)
広島が原爆で廃虚になった時 東洋工業の主力工場は市街から離れていたためほとんど被害を受けませんでした。運良く三輪トラックの生産にいち早く着手できた東洋工業は 敗戦後の窮乏期の輸送手段だった三輪トラックのトップメーカーとなりました。
華やかで夢がある乗用車作りは東洋工業にとっても悲願であり、軽三輪トラックK360からマツダR360クーペ(1960年)写真右、そしてキャロル(1962年)の軽自動車を発表し技術の高さを認められ
いよいよ小型乗用車として ファミリア(1963年)写真右を出します。
小型乗用車への進出にあたりファミリアは、ステーションワゴン型の2ドアバンで口火を切りました。(乗用車はまだ贅沢品で、商用車をバリエーションに含めないと採算が取れないだろうと慎重だったようです)
そして東洋工業は三輪トラック(バタンコ)メーカーから乗用車メーカーへのイメージ転換を考え、高級な技術を持つ象徴として研究を進めていたロータリーエンジンを据えます。
試行錯誤の末に 世界初の2ロータースポーツ「コスモ」(1967年)写真下左は全高1165mmという地を這うような斬新なスタイリングで発表されました。
東洋工業はこのコスモを大量に売る車ではないので まずは旗艦車としてブランドイメージ向上に使い、
ロータリーエンジンをシンボルにした東洋工業は これをファミリア(写真右上)、カペラ、ルーチェに搭載して勝負に出ました。 さらに軽自動車シャンテにロータリーを搭載しようと企てましたが、それは他メーカーから圧力をかけられ登場しませんでした。
ロータリーエンジンは窒素酸化物の排出が少ない点で レシプロエンジンより前途があると思われましたが
1973年頃からのオイルショックと省エネの声で、ガス食いであった事から出鼻をくじかれる形となってしまいました。
それでもロータリーエンジンは綿々と改良継承され 現在もマツダの象徴となっています。
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スズキ自動車
スズキは軽三輪でなく当初より軽四輪をめざしたメーカーで 政府の国民車構想に応えて
日本初の軽四輪車「スズライト」(1955年)を発表しました。
これをベースに本格的な軽乗用車としてスズライトフロンテを創って
乗用車メーカーへの参入を図っていきました。
このメーカーは「懐具合の寒い人でも車が持てるようにできるだけ価格を抑えて提供」をポリシーとしており
昭和54年に発表されたアルトは47万円という価格で発売されたため 女性オーナー比率が一気に増大しました。
スポーツモデルは、過去も現在も派手な名声を持ったモデルは少なく
実用性第一という手堅い線で 出した費用にはきちんと見合った車作りは昔からの伝統です。
バブル崩壊後1990年代半ばに出たワゴンRが 安価でスペーシィな室内空間が得られると大好評を博し、
他メーカーからワゴンRコンセプトの車が続々誕生しましたが
日本の軽自動車の歴史を変えたのはスズキかもしれません。 ※しかもワゴンRが凄いのは 元々あった軽自動車のパーツを八割方使い捻り出したことです。 (残念ながらスズキ車は満足いく写真が撮れませんでした…○| ̄|_orz ←親子でゴメン)
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ダイハツ
戦後はマツダとならんで三輪トラックのメジャーメーカーで
軽三輪のミゼット(1958年)を発売すると これが日本を席巻していきました。
このメーカーも四輪車への転換を図り、イタリア指向のコンパーノ(1962年)を発表。鈴鹿サーキットが完成し 日本人のモータースポーツ熱も勃興する中、スポーツモデルとして コンパーノスパイダー(写真右)を出しました。
新たなライバル サニーやカローラが1リッタークラスで登場するとコンパーノも800から1000に主力を移していきます。
日本初のガソリン燃料噴射装置もこのコンパーノが採用していました。
しかし、サニーやカローラ等強豪に挟まれ 販売面でも弱体であった為、昭和42年にトヨタと業務提携してからダイハツコンパーノは姿を消す事になりました。
現在は1300cc以下の小型車作りに特化して、
経済的で安価な車作りが得意なメーカーとして人気を博しています。
1998年にはトヨタが50%以上の筆頭株主となり、トヨタ傘下となりましたが
トヨタがリリースするコンパクトカーの開発に深く関わるようになり
トヨタ車の排気量の小さなエンジンはダイハツ製であったりします。
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富士重工(スバル)
航空機の生産(中島飛行機)や国産第一号スクーター、小型自動車P1の試作経験を持っていた伝統があったスバルは
スバル360(1958年)写真右を発表、翌年にはコンバーチブルやバンを追加しました。
日本独自の軽自動車枠の中で、スバル360は年々熟成され10年間も作られましたが、スバルR2へバトンを渡します。
本格的な乗用車への進出は、スバル1000(1966年)からで
エンジンは水冷水平対抗OHV4気筒、国産車初のFF車でした。
翌年にはソレックスキャブレター2連装のスポーツモデルも出していました。
ユニークな発想と技術力はやがて 乗用車4WDを日本人に啓蒙し、最速ステーションワゴンを発表。
スバルは国産メーカーとしては珍しく、自社のラインナップを大切に育てており、
レガシィは日本のプレミアムカーとなる資質を備えはじめています。
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その他、日本の名車歴史館の館内を画像で紹介します |
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いかがでしたか 館内には グッズショップもあり
(日本の名車歴史館とはいえワーゲングッズも多くありますが…^^;)
オリジナルTシャツが販売される他、各種ミニカーや小物など扱っています。
また車関連の書籍や資料、展示車の走行ビデオも見ることが出来るのは
愉しいかぎりです。
来訪記念のゲストブック(写真右)も置かれ、ここに見学に来た皆さんの
熱い思いを メッセージや添えられたイラストから感じ取る事も出来ました。
旧車好きで、国産車ファンなら楽しめる事請け合いです。
●日本の名車歴史館 福岡市東区西戸崎18-25(海の中道海浜公園) 電話(092)603-0445
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