愛媛県大洲市は 松山の南西約50kmの山に囲まれた盆地にある人口5万の町です。かつて大洲藩六万石の城下町として栄えました。市街地の真ん中を清らかな肱川が流れ、町には当時の面影を伝える名所、旧跡が所々に残ります。

 そんな懐かしい感じのする大洲の町をぶらり探訪してみました。どうぞお付き合い下さい。

大洲城 
 肱川を見下ろす小高い山に佇む城郭です。
慶長年間(1596〜1614)に造られた四層四重の天守閣で、明治21年に天主は取り壊されたのですが
岩国市の錦帯橋と同じく、平成16年(2004)に伝統工法ですべて国産材で復元されたばかりです。
 復元に際しては、明治の古写真や「天主雛形」と称された江戸期の木組模型などを元にしたといいます。

    天主(復元) 台所櫓(重文)高欄櫓(重文)

唐破風や火灯窓など装飾性ある造りです。

天守閣内は復元されてまだ新しいだけに、木と白漆喰の美しさが溢れていました(写真下)。
観覧時間9:00〜17:00  観覧料大人500円 小人200円(2006/3現在)
※臥龍山荘との共通入場券もあり大人800円 小人300円です)
復元天主
城の北側(肱川方)から望む
城から望んだ肱川と大洲市街
清らかに流れる肱川 こういう所は好きだな
大洲城公園から見た冨士山(とみすやま)
富士山に似た山はとみす山と読み標高319m


肱川沿いの風情ある町並み
肱南(肱川の南側)と呼ばれるこの地域は かつて商業、金融、交通の中心地で
江戸から明治にかけては木蝋、明治から昭和にかけては製糸業で発展しました。
 おおず赤煉瓦館(写真上、右)
 明治34年に大洲商業銀行として造られた建物を生かして 喫茶室、土産物コーナーなどあります。
ポコペン横丁(写真上、左)
昭和30年代の町が現れる露天市が開催されます。レトロな看板やグッズでディスプレイされ 駄菓子など買うのも楽しいかも。
平日は散策しかできませんが それでも懐かしい気分に出会うことはできました。
おはなはん通り (電線はphotoshopで消してます)
 江戸時代から明治にかけての 商人町として栄えた面影が残っていました。通りのほぼ中間に無料休憩所があります。石畳の道の風情も良いです。ここはかつてNHKテレビ小説「おはなはん」の舞台となった所で それにちなんでおはなはん通りと名付けられました。こういう風景が私は好きでしばし佇んでいました。

 この地区にあった蔵は 木蝋や製糸工場の繭倉として使用されました。昭和初期には24軒もの製糸工場があったといわれ、大洲産の木蝋や生糸は肱川で河口の長浜まで運ばれ それから阪神方面へと出荷されたようです。

 現在も白壁やなまこ壁の土蔵が連なって残り 防災上施された防火壁、防水対策としての石垣、民家裏側の下水溝など当時の暮しの知恵が生き続けています。
大洲まちの駅 あさもや
道の駅に似た 観光案内所、郷土特産品の紹介&販売 飲食施設です。町歩き地図入手可能
肱川の魚の加工品、銘菓、醸造品など お土産も大洲は豊富で老舗も見つかります(写真右)
大洲の町を流れる肱川と大洲城山(写真左)
 肱川には遊覧船が見えますが ここ大洲でも 6/1から9/20までの夏季には鵜飼が開催されていますし
鵜飼の無い時期(4月〜10月)は肱川遊覧船もあります。
昭和30年代で止まったかのような 大洲市街地の本町通 大洲神社 大洲の町を眼下に見下ろすことができます

臥龍山荘(写真上3点全て) 
ここは肱川の名景勝地にあり、肱川を借景にする山荘庭園です。
元大洲藩主の庭園がありましたが 明治の貿易商河内寅次郎が桂離宮をなど参考に造り替えたようです。
明治の町並み (写真左)
武家屋敷、なまこ壁の土蔵 養蚕などで
栄えた町の様子が偲ばれます。
向うに大洲神社下の昭和燈が見えます。
肱川沿いの佇まい (写真右)
時間があれば肱川沿いも訪ねられては
如何でしょうか。大洲の町はのどかで美しい風景に出会えるので 古い町探索愛好派やデジカメ愛好家にも大変愉しめる処だと思います。

大洲という所は時計を外して ゆっくり歩きたい町だと感じました。
大洲観光の次には、内子町も訪ねました。こちらをClick

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