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国道191号線と国道262号線が交る辺り、萩バスセンター周辺が商業の中枢となっています。
萩は文久3年(1863)の藩庁の山口移転により政治の中心地としての機能を失い、明治以降は工業化も地の利に長けた瀬戸内側優先に進んだ為、市勢は脚光を浴びることはありませんでした。
戦災も逃れただけに、逆にこのような経緯が 萩に多くの史跡や文化財、古めかしい町並み等多くの文化的遺産を残せる下地となったようです。 |
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位置的には、中心繁華街の国道191号&国道262号交差点から1キロ弱西側になります。
現在でも江戸時代の地図が使えるほどで この城下町一帯は国の史跡に指定されています。 |
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江戸屋横丁
武家屋敷や町家は軒を連ね 往時の面影を留めています。 |
菊屋横丁
白亜の色合いを微妙に違えながら、古びた漆喰の壁が続いています。 |
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菊屋横丁
白壁と瓦のコントラストが絶景となって視覚を愉しませてくれます |
菊屋家住宅
藩御用達を勤めた豪商の住宅で、国の重要文化財に指定 |
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木戸孝允(桂小五郎)旧宅
江戸屋横丁の藩医の家に生まれ
明治維新3傑として代表的な政治家です。
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円 政 寺 元は大内氏の祈願所で山口にあったが
(山口には円政寺町という地名が残る)
毛利氏と共に萩に移りました。 |
土塀に夏みかん 萩の特産品「夏みかん」は 明治に入って
職を失った武士の収入を確保する為
植えられたようです。 |
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藍場川は、萩の三角州内を流れる人口の川です。
1700年代に 生活、農業用水や川舟を使った運搬の為に開削されました。
旧湯川家屋敷(写真上)は 藩政時代の武家屋敷で、藍場川沿いの民家として典型的な水の利用が見られます。
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萩三角州の西北端に位置している 毛利氏の260年にわたる居城跡です。
関が原の合戦に破れて中国地方8ヶ国から、周防・長門の2ヶ国36万石に減封された毛利輝元は
幕府の命により 萩指月山に築城しました。
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幕藩体制も終わりを告げ、明治に入って僅か7年、萩城払下令により城は解体されました。
現在は堀、城壁の一部、石垣が残るのみです。
城郭石垣の外はすぐ日本海で 美しい菊が浜の海岸を見る事ができました。 |
萩の特産品 |
萩 焼
起源は、毛利輝元が萩に城を移した際に 朝鮮出身の陶工を連れてきて
陶器を焼かせた事に始まりました、
茶陶としての名声も高く 現在萩市内には100近くもの窯元があるそうです。
萩焼は普通の土産物屋で販売されているのは大量生産品が大半で
有名作家の窯でも安い物は、お弟子さんの作品との事です。 |
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夏みかん
そのまま食べても美味いのですが、工夫が凝らされた砂糖漬けなど 萩銘菓や工芸品も一見の価値があります。
5月に萩に行くと、土塀から白い可憐なみかんの花が咲き
周りは甘い香りで包まれます。 |
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萩は、見所となる場所は一定の地域に集まっており 一日あればだいたい廻れます。
市内の観光名所をくまなく循環するワンコインバスなど、観光巡回バスの充実ぶりも頼もしく思えました。
宿泊施設に関しては、人口5万人弱の地方小都市ではシティホテルという形態は難しいのか
外資や大手ホテルチェーンはなく 地元資本の手による気の利いたホテルが頑張っています。
車での市内観光は要所要所の観光地の駐車場を利用して歩き回るといいですよ。
城下町周辺(白壁のあたり)は萩美術館周辺に停めるのが無難です。
町全体が歴史遺産のような所で道幅も狭く、「鍵曲」と呼ばれる道路が直折した箇所もあるので
車の運転には注意が必要です。
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萩本陣 |
プチホテル・クランベール |
萩観光ホテル |
萩たなかホテル |
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菊ヶ浜観光ホテル |
旅館 一二三 |
中村旅館 |
萩の家 |
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宵待ちの宿 萩一輪 |
ホテル オレンジ |
萩八景 雁嶋別荘 |
萩の宿・常茂恵 |
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萩の御厨(みくりや)・高大 |
ビジネスホテル長谷川 |
民宿 女台場 |
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