大島郡大島町の「日本ハワイ移民資料館」と
「屋代ダム」に行ってきました。

 日本ハワイ移民資料館(大島町西屋代)
 大島は「移民の島」と呼ばれ、ハワイや米国本土に数多くの大島出身者が移住しています。
大島は産業基盤が弱く、狭い耕地面積に人口稠密であった為、海外に活路を見出さざるを得ませんでした。

 日本初の海外移民が行われたのは 明治18年(1885)の官約移民で山口県人の約3割が大島郡民でした。
以来大正12年に移民禁止になるまで、海外に移住した日本人は100万人を超え、その子孫は五世・六世に及びます。
 この資料館には、ハワイ移民の歴史や、現在まで連綿と続くハワイとの交流までを学べる資料が沢山揃っています。
 官約移民の歴史資料やデータも展示してありますし、
移民たちの労働と生活の様子を 生活道具や写真で窺い知る事が出来ました。
 移民がハワイから大島へ持ち帰った物で、ワッフル焼き器やダッチオーブンなどもありましたが、
当時の大島は、米国式ライフスタイルをいち早く実践していたのですね(^^)
 太平洋戦争敗戦直後も、大島には米国本土、ハワイ、ブラジルからコーヒーや衣料がどんどん送られてきて
それを狙った闇商人も横行したという笑い話もあります。

 ハワイ移民から大島の家族への送金額は膨大なもので 困窮した島民生活の大きな支えになりましたが
決して移民によって豊かな暮しを築く事が出来たからでなく
殆どの人が厳しい環境で、風土病や現地人とのトラブルに苦しみながら骨身を削る思いで勤労して捻出したものだったようです。
 当時は「写真結婚」も行れ(ハワイの独身男子と、日本にいる花嫁候補が互いに写真を交換しただけで結婚・入籍)
花嫁がハワイに来てみると、写真と実物が全然違うとか、年齢が違っていたりという悲劇もあったそうです。
 
 砂糖黍栽培の一労働者から、営農、園芸栽培、養鶏、クリーニング屋、写真屋、コック等色々な分野に進出する日本人の勤勉さを実感する事が出来ます。
 なお世界パイナップル加工の8割を生産するハワイパイン缶詰工業も日本移民に負う事多大です。

 他にお客がいなかったので、案内係の方に訪問客について色々と話を聞かせて頂きました。
ハワイに住む五世・六世の人達も、自分のルーツを知る為にここを訪ねたりする事も多いそうです。
また安下庄高校(橘町)では、修学旅行にハワイ・カウアイ島に行くようですが
現地での交流の準備の為、事前にこの資料館で情報を収集して行くそうです。

 また、館内に置かれたゲストブックを見て「意外と遠県の若者が多いのですね」と尋ねると
「“卒論をまとめるために、ここへ勉強しにきた”という大学生も多いですよ」とお話下さいました。

 この資料館の建物は 米国加州に移民後成功した、福元長右衛門氏が建てた屋敷を利用したもので
部屋は1階に14室、2階にも5室が有り、1階の欄間は立派な物なので是非注目してみて下さい。
館内はハワイの民芸品、コーヒー、マカダミアナッツ、アロハシャツ、貝、レイなどを
販売するコーナーも併設されており、お土産を探す事も出来ます。

 屋代ダム
上の方に貸し別荘もあります ローラー滑り台も

 周防大島は降水量の少ない瀬戸内海式気候で、干ばつ地域特有の深刻な水不足に悩まされていました。
 治水ダムの建設が渇望されていましたが、平成になってようやく「屋代ダム」が建設されました。
 ダムの周辺は美しい公園や遊び場が整備され、季節を彩る花が私たちの目を楽しませてくれました。 

これって日照り草ですかね?!




この直後、私はこの2羽に
エサをくれと襲撃されました(笑)

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