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夜の大阪をフォトスケッチしてみました。
キタ(梅田 大阪駅周辺)
大阪駅周辺(キタ…梅田)には日本一の地下街が拡がっています。
盛り場の人出を ターミナル駅乗降客数でみると
キタ…(JR、阪急、阪神、地下鉄で一日250万人)
ミナミ…(近鉄、南海、地下鉄で一日70万人)で ミナミが中小業者が多いのに比し
キタは大企業の背広族の比率が高いようです。
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そしてキタには、新聞(朝日、毎日、読売、産経)、
報道(朝日、毎日、関西)が集中しています。
戦後になって本格的な繁華街となりましたが、
梅田はエスカレーターもズンズン歩く人の比率も高く、
しかもエスカレーターでズンズン歩く人は左を歩き、歩かない者は右に寄る(東京とは正反対なので)その辺は要注意です(笑) |
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ミナミ(新世界から難波 心斎橋) |
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新世界の通天閣は、明治45年の内国勧業博覧会で 通天閣はパリのエッフェル塔を模して建築されました。
太平洋戦争中の昭和18年に金属回収令で撤去されましたが 戦後(昭和31年)地上103mの現通天閣が再建されています。
大衆娯楽場、映画館、演劇場、飲食店が大阪の下町らしさを醸し出しています。
安く遊びたい向きには 新世界のジャンジャン横丁に行くと
丸一日、囲碁将棋を指しても 僅か1,000円の席料で遊べる店もあります。
皆さんは「真剣師」という言葉をご存知でしょうか?
将棋の世界でお金を賭けて勝負し それで生活する人のことをいいますが
この辺には 関西一円からそんな将棋好きも詰め掛けていますヨ。
道頓堀の北側が道頓堀川、南側に浪花座・松竹座・角座が位置し
大阪を象徴する名の知られた飲食店が集中する繁華街となっています。
(松竹座と法善寺横丁の一部は2002年9月に焼失しましたが 現在ほぼ往年の姿に戻っています)
数多くの派手な立体看板が次々と視界に飛び込んできます
かに道楽の動くカニは昭和37年登場で 今三代目
くいだおれ人形は 昭和25年登場で 動く看板第一号です。 |
戎橋南詰からの眺めは圧巻 まぶしいほどの光に包まれています。
道頓堀川は 大阪夏の陣の終った元和元年(1615)に堀られました。
大阪の典型的な若者風俗(最先端という意味ではない)は
アメリカ村と道頓堀川に架かる戎橋界隈で見られます 「みんな思い思いの格好しているなぁ」。
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グリコの巨大ネオン
大阪城や通天閣の名所をひた走る姿の現在のものは5代目で 高さは20m。キャッチフレーズは「おいしさと健康と」 (4代目のものは17m キャッチフレーズは「1粒300メートル」)
日没30分前から0時まで点灯されています。ネオン管は5,500本使われています。 |
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写真は左より
心斎橋筋 南入口
ホテル日航大阪(心斎橋)
大丸百貨店(心斎橋)
宗右衛門町 |
心斎橋筋
大丸などのデパートや服飾などの高級専門店が軒を並べています。
大阪一の繁華街として 集客力は抜群で 各老舗もその時々の流行を読み
商品を豊富に揃えているので 人々の賑わいは絶えません。
大丸は享保11年(1726)に呉服商からスタートしましたが
東京の三越が百貨店化されたのを機に、百貨店に鞍替えしました。
米国人建築家ヴォーリズが設計し、アールデコ調の意匠(一階エレベーターホール)も見応えがあります。
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ユニバーサル スタジオ ジャパンも散策しておりますので こちらもご覧ください。→ENJOY USJ
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千房は昭和48(1973)年に千日前で創業、豊臣秀吉の馬の千成瓢箪が房になっている という意味で
店を明るく近代的にして 日本のみならず米国にも支店を展開する
“お好み焼屋を近代的外食産業”にした草分けです。
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