山口県山陽小野田市は 2005年3月に小野田市と山陽町が合併し 新市名となりましたが
 セメントを中心とした工業都市として発展した 旧小野田地区に行ってきました。
 太平洋セメント株式会社の前身 小野田セメントは 日本で民間初のセメント会社として 1881(明治14)年5月に誕生しました。
創立者の笠井順八は旧萩藩の役人で、生活に困窮した旧士族の就産成功例となっています。(太平洋セメント=秩父セメント、小野田セメント 旧浅野セメントが合併しセメント業界最大手)
 セメント工場を軸に 小野田の町は発展し、小野田の中心地は小野田線の南中川〜南小野田辺りまで拡がっています。 
セメント工場や南小野田駅の東側が 小野田の中心として
栄え、昔からの商店街 高校や銀行などがあります。
小野田は セメント町(写真参照)や硫酸町という住所表示も。 マンホール 図柄は
小野田セメント窯(これは後述)
JR小野田線 大正時代に宇部線同様 軽便鉄道として誕生し 
戦時中に旧国鉄に吸収合併されました。単線ですが電化されています。写真中央に見えるのはJR南小野田駅 昔はセメント町駅と称していました。(現在無人駅)
小野田線(長門本山支線)は最後まで古参電車も残りました。
西側には工場地帯と、小野田港が広がります。
ここも他の山口県の都市と同様 典型的な企業城下町で
セメントに因み 小野田には「せめんだる」という名の
銘菓もあります。(※セメントは 昔は麻袋でなく木の樽に詰めて出荷されました) せめんだる/つねまつ菓子舗                     
  小野田にセメント工業が興った理由
  旧萩藩役人の笠井順八が 生活に困窮している旧士族に生業を与える為、セメント製造に着目し、
 有帆川河口の粘土、対岸の北九州恒見の石灰石、燃料にする小野田の有帆の石炭
 原料も燃料も近くで採掘出来ることから この地が選ばれたようです。
 元々この付近は「須恵村」なる名でしたが、小野田セメントの発展により 干拓地の名に過ぎなかった
 「小野田」の方が有名になり、1920年の町制施行時に小野田町となりました。
  旧小野田セメント徳利窯
 このセメント徳利窯は 創業時の1883(明治16)年に創業を開始した4基の窯の一つで 日本に残る中で唯一最古のセメント焼成窯です。 この窯の完成以降は、安定した製品が生産出来るようになりました。

 製造容量は 約7昼夜で約10tのクリンカ(セメントの半製品)が出来たそうです。(現在の設備では1日で3,000tのクリンカを生産可能)。

 焼成部分と煙突部分を含めた高さは約17.8mあります。
徳利窯も 明治30年にはディーチュ窯、大正2年に回転窯が登場すると使命を終え 大正2年には廃止されてしまい順次解体されていきましたが 
この窯は 小野田セメントの歴史や セメント製造草創期の姿を今に伝える貴重な産業遺産だと感じました。

 太平洋セメント公式サイト
  セメント工場バーチャルツアー、なぜなに博物館、
  ペーパークラフトコーナーあり
竪窯は、国指定重要文化財。(平成16年12月指定)
竪窯周辺は、山口県指定有形文化財「小野田セメント徳利窯」。(昭和44年2月指定) 
築造100年を経て 昭和53年から2度にわたり亀裂補修、補強なども行われています。
この煉瓦組積体は当時徳利窯に使われていました
写真は操業時の風景
見学は、太平洋セメントの守衛所に
「セメント窯を見学したいのですが 宜しいでしょうか?」と申し出ると
「手前の線路沿いから進んで下さい」と教えてくれますし 
セメント製造方法について詳しく説明した資料もあるようです。 MAPはこちらです

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