以前、ゲストブックに「大分に来ちみちょくれ」という大分県の方からの書込みがありましたので
早速、8月16日 大分県方面への日帰りドライブで、日田湯布院大分市を探訪してきました。
こちらのコンテンツでは ぶらり散策した大分市街の様子をお届けします

大分は瀬戸内海を隔てて山口県と向かい合い 親近感が感じられる距離ですが 
2県をダイレクトに結ぶ交通機関は多くなく、盲点ともなっている場所です。
特に大分市は 温泉観光都市別府の知名度に押され気味ですが 
逆にそれが 燻し銀のような魅力を醸し出す 味のある街だといえましょう。
 府内城跡
 大分市は 奈良時代に豊後国の国府が置かれ 町の基礎が出来、以降大友氏累代の本拠地として発展しました。

 府内城は1597(慶長4)年、当時の豊後藩主 石田三成の妹婿の福原直高により築城されました。当初はここまで海が迫り荷揚城と呼称されていました。 関が原の合戦の後に、竹中重利が四層の天守閣などを建造し 府内城と呼ばれる様になりました。
 その後1743年の大火で多くが焼失しましたが、二層の隅櫓と石垣、西の丸 廊下橋などが復元され 現在は城址公園となっています。
 入園は無料で文化会館が併設され、市の中心部に位置する事から 大分市民の憩いの場ともなっています。

 府内城周囲の町の風景も写真に収めてみました。
大分市役所 大分合同新聞社 料飲街都町のジャングル公園 大手公園内のサビエル像

県庁所在地 大分
 大分市は人口46万人で 県人口の4割が集まる正に大分県の中心です。
大友氏の城下町は、整然と広がっていましたが太平洋戦争で焼失。
昭和30年代中ばまでは、人口も別府と大して変らない規模(86位と100位)でしたが 新産業都市に指定され
臨海部は 新日鉄の大製鉄所(世界に類例を見ない先端技術を駆使した製鉄所で
途上国では作れない無錆鋼鈑をコンピューター管理しながら作っている)や
住友化学、昭和電工、東芝などの工場が集中立地して 九州では北九州市に次ぐ工業都市へ変貌しました。
府内城側から望む 大分県庁舎 大分県庁玄関口 県庁西側から南に延びる遊歩公園

 大分県庁を見ると 私が個人的に思い出されるのは、平松知事の名戦略でしょうか…。
大分県の各市町村の「一村一品運動」を提唱したり、
ウイスキーの水割りの代わりに、焼酎のお湯割りや水割りで飲む事を日本に普及させたり。

 実は「一村一品運動」にしても 大分県は山がちで大分平野以外に大きな平野が少なく、
例えば良いレンコンが出来ても 「大分レンコン」を全国一として売り出すには量が揃わず、
仕方なく それぞれの市町村の多種多様な産品を 少しずつ売り込むしかないという…苦肉の策であったようです。
また、豊臣秀吉によって所領が細分化されて以後、大分は明治まで小藩分立の時代が続き
結果 "全県一つにまとまるよりも、中津日田など各地が其々自慢しあう”(笑) 県民性も影響しているようです。 

ほか、政治家では 元総理大臣の村山富市氏が大分出身です。

 大分の中心街を散歩
 大分市の繁華街は 荷揚町交差点から大分駅までの500mの中央通り(写真左)を中心に展開しています。アーケード商店街はガレリア竹町、セントポルタ中央が連なり、大型マルチビジョンも据え付けられ賑わっていました。
 戦災後の都市計画で 街路は分かりやすく 荷揚町交差点を軸に 東は城址と官庁街、西は飲み屋街(都町)、南は商店街という事を頭に入れれば 小さな都市なので地図無しで歩けます。
路面電車などはなく(昔は別府と結んでいたそう)バスが市民の足となっています。 

 昭和40代以降より工業立地によって急速に発展、鶴崎市などを合併して膨張したので、中四国九州の他の町と比較すれば 46万の人口にしては繁華なエリアは比較的狭い感は否めませんが、臨海工業地帯を有し富裕な都市なのでしょうか 市街の南郊(大分ICと光吉ICの間から)は郊外型百貨店が姿を現し、ほか社会資本も充実した印象を感じます。
大分駅〜荷揚町交差点の500mが大分の目抜き通り 中央通 
20年も前から大分にあるPARCO ファッションメインのFORUS大分 トキハ百貨店 地場資本健闘 トキハは海外ブランドが割と揃う
 大分市には 東京・大阪資本の大手百貨店は出店しておらず、ローカル百貨店トキハが地盤を築いています(地元の消費性向を熟知する分 強いのでしょう)。トキハは地階のご当地土産菓子や一村一品商品の売り場など地元の名産にこだわる事に定評があるようですが、ファッションのフロアは海外有名ブランドも入り 服、装飾品に金掛ける人が多いのでしょうか(PARCOが来るのも広島より早いし大分人は着道楽?)割と充実しており ローカル百貨店としては比較的垢抜けた部類に入るのでは と感じました。 
府内5番街ブロンズ像などお洒落 府内5番街はセレクトショップも

 高速自動車道の整備、JR特急列車のスピードアップで、福岡市への時間距離が近くなり
買回り品は福岡で求める消費者が多くなった とは、九州全県に見られる現象ですが、
各地方都市は戦々恐々としながらも、中心街の再構築、消費者の回遊性向上に尽力しているようです。

 九州は全県庁所在地行きましたが 大分をはじめ何処もそこにしかない趣があり 
今のままでも充分に魅力があるのですがね…。
府内5番街 欧風の石畳の商店街 ガレリア竹町のポルトガル帆船モニュメント 最も繁華で 地価も高いと思われるトキハ前

 大分は食べ物なら、魅力的な物が豊富で、食通の舌をうならせる良い所だと評判です。
豊予海峡に面した佐賀関は絶好の漁場ですが そこ捕れる全国的にも有名な「関あじ・関さば」を はじめ
城下カレイ、だんご汁、大分が発祥の地「とり天(鶏の天ぷらで天ダシかポン酢でいただく)」など ...
とり天は大分駅名店街などでも、冷蔵・冷凍で売っていました。 (参考サイト とり天の研究
 なお、全国にあるファミリーレストラン「ジョイフル」というのは、大分発の企業ですが、
大分発だけに、鶏天定食(499円 2005/8現在)があり、山口県内の各店でも食べる事ができますよ。

 大分銘菓では「ざびえる」があり あれって包み紙に金と銀とありますが 
金…ラムレーズンの細かいのが入ってる方 が個人的には好きですね。 
 大分駅前の様子です。駅前ロータリー(写真上)に大友宗麟の像がありますが
大友宗麟は戦国時代に豊後を治めたキリシタン大名です。
1551年ザビエルと謁見し、キリスト教布教を認め 南蛮貿易を推進し 西洋式病院、
医学校、育児院、賛美歌の合唱など 西洋文化を日本で初めて採り入れました。
潤った国力で 九州北部一円を支配しました。キリスト教の洗礼を受けつつも
日向(宮崎県)で島津氏に敗北し 衰退してしまいました。

東九州の拠点として成長する大分市、なかなか愉しめる街です。
大分県観光の基点としても地の利に恵まれており 皆さんも立ち寄られてみては。

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