伊勢神宮の外宮参拝の後、南東5kmの所にある内宮(皇大神宮)に向かいました。
ここは天照大御神を祀り 五十鈴川に架かる宇治橋(写真左と下の2つ)が、俗界と聖
界の境となっており、“ここから先は神域だ”と心が改まってきました。
宇治橋は長さ101.8m 幅8.4mの総檜造りの橋で 橋の欄干には16基の擬宝珠が置
かれ 20年に一度架け替えられるとの事です。
宇治橋入口の鳥居(写真左)は外宮旧正殿の棟持柱で造られたもので この鳥居も
20年経つと 桑名の七里の渡(焼蛤の三重県桑名市)へ移される事になっています。
宇治橋を渡った所にも鳥居があり(写真左下) こちらは内宮旧正殿の棟持柱で造
られ、関の追分の鳥居へ移される事になっています。 |
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宇治橋は20年毎に架け替えられ 今の橋は平成元年架橋 |
宇治橋から望んだ 静冽な五十鈴川と秀麗な山々 |
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宇治橋を渡ると 道は右に折れて 玉砂利の参道を進みます。
巨大な杉や原生林を見て 火除橋を過ぎ第一鳥居の手前の手水舎の所から 内宮は右側通行となります、すぐ先のロータリーの右手に御手洗場(みたらし)があります。ここは昔からの祓いの場所で 参拝の前に五十鈴川の清流で身と心を清めてからお参りするのがしきたりになっています。ここの水際に徳川綱吉の生母・桂昌院が元禄5年に寄進した石畳が敷かれています。 |
五十鈴川の川上に連なる山々 |
五十鈴川 御手洗場の鯉 |
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御手洗場 五十鈴川は御裳濯(みもすそ)川とも呼ばれている |
神楽殿から北側(御池 外御厩の方向)を望む 心洗われる佇まい |
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古殿地 次の式年遷宮で正宮が建つ空き地 |
風日祈宮の方から見た神楽殿の神札授与所 |
風日祈宮橋 島路山神路山からの水は清らか |
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内宮(皇大神宮)
神路山麓にあり 天照大御神(太陽の神、国民の総氏神)が祀られています。第11代垂仁天皇の26年(約2000年前)に、この伊勢に鎮座されました。
最奥に幾重もの垣に囲まれた正宮、隣接して古殿地(次回遷宮の為の空地)、北に荒祭宮、南に風日祈宮など多くの社殿が鎮まっています。
御正宮の社殿は唯一神明造と呼ばれる総檜造り地面に丸柱をそのまま立てる掘立式で茅葺き屋根の高床建築です。
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神楽殿 4月5日と秋分の日には神楽祭もある |
石段を上がると 皇大神宮の御正宮へ |
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“伊勢に行きたい。伊勢路が見たい。せめて一生に一度でも”と謡われ 日本で最も神聖であり、また何世代にもわたり日本人の心の故郷として親しまれてきた伊勢神宮は、行って帰ってくるだけでも40〜50分はかかるほど広く、清々しさ、重厚さも別格です。
四季を通して参拝者の絶えることがありません。 |
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御厩 皇室から牽進された神馬 |
御札、御守、暦も神楽殿で受ける |
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内宮神楽殿 神札授与所と御饌殿がある建物にあり神楽奉奏を受ける |
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伊勢おはらい町通りと おかげ横丁 |
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おはらい町通りは 電線は埋設され 舗道も石畳に改められている |
この通りは昼間は観光客が溢れ、写真撮影には朝が望ましい |
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おはらい町通り(旧参宮街道)
江戸時代初期から門前町として発達し 御師が神宮に代わり神楽をあげていたことから「おはらい町」と呼ばれたようです。
お伊勢参りが庶民にとって一世一代のイベントだった頃 街道沿いには遊楽施設や名物などを食べさせる茶屋など軒を並べ大いに賑わっていたそうですが 雰囲気はそのまま残っています。
おはらい町通り中ほどに 江戸末期から明治にかけての街並みを移築再現した町「おかげ横丁」があります。1993年に誕生しお伊勢さんの「おかげ」という感謝の意から名付けられました。
伊勢の伝統的民家が再現された中に食べ物屋土産物屋が38軒ある他、おかげ座 お伊勢参りの館、山口誓子俳句館、徳力富吉郎版画館など 伊勢の魅力が凝縮され ぜひ寄りたい所です。
●おかげ横丁公式サイト |